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 Space Future Japan 特集 第2弾
スペースシップワン X PRIZE勝利
民間宇宙旅行時代の幕開け
<イントロダクション>




民間航空機の歴史を飾ったリンドバ−グの「スピリット オブ セントルイス」から100年余り、
カリフォルニア モハベ砂漠から
21世紀の民間宇宙船の歴史を飾る宇宙船が飛び立った。
10.4 空飛ぶ芸術品 スペースシップワンが9.29に続く2回目のフライトに挑戦し、
再び高度100kmの宇宙へ到達、
宇宙レースX PRIZE competitonに勝利しANSARI X PRIZEの栄誉を手にいれたのだ。
これは宇宙レースの勝利の栄光だけではない。
民間による安価な有人の再使用型宇宙機の開発が可能なことを示し、
民間宇宙旅行時代の幕開けを高らかに告げたのだ。

■メニュー
イントロダクション(9.29 and 10.4 X Prize competiton)
X PRIZE勝利の持つ真の偉大さの意味
当時のニュース記事
X PRIZE スペースシップワン フライトの模様の動画
コラム 「スペースシップワンとANSARI X PRIZEの歴史的意義」(Prof. Patrick Collins)
論文 「X PRIZE後の宇宙観光旅行サービスの為の制度制定」(X PRIZE創設者 Dr. Peter H Diamandis と Prof. Patrick Collinsの共著)
X PRIZE代表 DR.Peter H Diamandis氏からのメッセージ

寄稿 「スペースシップワンの成功」(STSJ 代表 五月女氏)

コラム「祝 ANSARI X PRIZE」(SF/J)
次のステップ X PRIZE CUP へ (X PRIZE 日本人スタッフ 水谷氏)
X PRIZE のルール概要
X PRIZE参加26チームの紹介
用語解説
X PRIZE特集第1弾へ

■イントロダクション(9.29 and 10.4 X Prize competiton)

2004年 10月4日(米国時間)早朝 普段は人影も少ないカリフォルニア モハーベ空港には全米、全世界から多くの人が集まり賑わいを見せていた。
最初に宇宙へ到達した民間の再使用型の宇宙船に贈られる ANSARI X PRIZE 賞金1000万ドル獲得へ向けた、スペースシップワンによる2回目のフライトが始まろうとしていた。


(モハーベ空港の夜明け)

ANSARI X PRIZEは民間の宇宙船開発を促進するために1996年にピーター・ディアマンデス氏らによって設立されたX PRIZE財団が掲げた賞金1000万ドル(約11億円)の賞である。
その勝利条件は、同じ宇宙船で2週間以内に2回、高度100km以上に到達することである。
実に設立から9年もの間、26チーム(最大時で27チーム)もの宇宙船が参加したが、2004年まで宇宙へ到達できた民間の宇宙船は開発されなかった。
賞金の有効期限である2004年12月末まで、時間はあとわずかなり、X PRIZEの掲げた民間宇宙開発を非現実的と諦めの声が続いた時代でもあった。

しかし、2004年6月21日、天才的航空エンジニアである「バート・ルータン」率いるモハーベ・エアロスペース・ベンチャーズチームは、スケールドコンポジット社が製造した『スペースシップワン』の試験飛行でついに『高度100km』に到達した。
スペースシップワンはとても航空機とは思えないほどの斬新で華奢なデザインと可変式の翼を持った「宇宙船」である。
ゴマアザラシのような愛嬌のある顔をしたこの小さな宇宙船が、高度100kmに到達したのである。
この偉業は全世界に報じられ、民間宇宙飛行が現実となっていることが証明されたのである。
しかも、その開発費は僅かに3000万ドル以下(30億円以下)ということに驚かされた。
宇宙船の開発は何百、何千億円もかかるというこれまでの常識が覆され、民間資金による安価な宇宙船の開発が可能なことが証明されたのだ。
バートルータンは9月末に X PRIZE competitonにチャレンジすると発表し、X PRIZEの名が再び全世界に知れ渡り、全世界が真の宇宙産業時代の幕開けとなるこのレースに注目した。

さらに、スペースシップワンに負けじと、他のX PRIZE参加チームも開発を加速させた。
特にダビンチプロジェクトチームはオンラインカジノ「GardenPlace.com」と契約を結び、Wild Fireで10月2日にフライトすると、スペースシップワンに挑戦状を叩き付けた。
ダビンチチームはボランティアにより開発費を7000万円以下という驚きの安さで実現させていた。
スペースシップワン VS ワイルドファイア !
この対決が報じられたことでX PRIZEレースは一段と加熱していった。

(写真右:「GardenPlace.com」ダビンチプロジェクト Wild Fire)

世界中がX PRIZE獲得を見守る中、9月29日 スペースシップワンは1回目のフライトに挑戦した。

 


■9.29 螺旋(らせん)のフライト
 
1回目のフライトのスペースシップワンのパイロットは、バートルータンに命を捧げる男「マイクメルビル」氏だ。
この様子は、X PRIZEサイトのWEBCASTや、NASA TV、さらには日本から初めてスポンサーとして参加したLivedoorのページなどでライブ中継され、世界中がインターネットやTV放送に釘付けとなった。

9月29日 6時34分(米国時間) メルビル氏の乗った『スペースシップワン』を抱いて『ホワイトナイト』が離陸した。
ホワイトナイトは2つのターボジェットをもちスペースシップワンを所定の高度まで搬送する、搬送用の航空機である。
約1時間後 高度約50000feet(高度約15km)に到達し、スペースシップワンのハイブリッドロケットモーターに点火、ホワイトナイトから分離して高度100kmを目指し白煙を上げて舞い上がった。
このまま約80秒間ロケットモーターを点火し続ければ高度100kmへ到達できる。

ここで様子をモニタしていた関係者らから焦りにも似た声が上がった。
スペースシップワンがロール方向に螺旋回転を始めたのである。
これは6月21日のテスト飛行の時にはなかった現象である。
「いったい何がおこったのか?」
様子を見守る関係者、見物客から不安の声が起こった。
しかし、そんな回転するスペースシップワンを操るマイクメルビル氏はあわてる様子もなく操縦桿を握り、ハイブリッドロケットモーターを点火し続けた。

「ロケット モーターの点火を止めていい。」
管制からメルビル氏へ抑止のサインが出された。
しかし、ルータン氏を信頼し、今回の飛行を必ず成功させる誓いを立てた冒険者メルビル氏はロケット モーターの点火を続けた。
「まだ大丈夫だ。高度100kmは到達できる。」

メルビル氏がここでロケットモーターの点火を切った。
スペースシップワンは弾道軌道を描き、船内は無重力状態となった。
眼下には青く丸い美しい地球が広がり、頭上には漆黒の宇宙があった。
メルビル氏はその素晴しい光景に思わず息を呑んだ。
「高度100kmに到達した!」
管制から興奮した声が届き、メルビル氏は満足の笑みを浮かべた。

スペースシップワンは最高高度約102kmまで到達し、降下を始めた。
ここでスペースシップワンは最大の特徴である尾翼部を折りたたむモードに変形した。
この形態により、高速による降下を安定させ、パイロットは低高度で滑空状態になるまで何もせずにいられる。
低高度になると再び尾翼部を戻し、滑空して空港に着陸した。

空港に降り立ったメルビル氏は満面の笑みで観客の管制に答えた。
「先ほどの螺旋回転は大丈夫なのか?」
との問いに
「私の操縦の問題だから気にしないでくれ。」
と答えた。
設計者バートルータンも
「たいした問題では無い。大丈夫だ。」
と自信たっぷりに笑顔で答えた。

しかし、すぐさまバートルータンらと緊急検討会議が開催された。
原因は何か?10月4日に予定されている2回目のフライトは達成できるのか?

マスコミ、報道陣は今回の成功を賞賛するだけでなく、ロール回転の不安要素をまくしたて、『スペースシップワン危険か?』とまで言う声も上がった。

しかし、ルータン氏や航空の専門家たちから見れば、今回の螺旋飛行にる上昇は見た目ほど危険ではないことはわかっていた。
螺旋状に回転しながらの上昇はX-15が開発された1960年代ごろのロケット開発時には安定性を増す為にむしろ意図的に提案され、実行されていた飛び方の一つである。
大きな構造上の問題や強い衝撃が働いたのでなければ、スピンしながらの飛行はむしろ安定性を増し、良い飛び方であったとも言えるのだ。

緊急会議の後、ルータン氏はメルビル氏の操縦を賞賛し、今回の螺旋飛行となった原因は以前から指摘されていた構造上のささいな問題と予想以上の風の強さが原因であると会見した。
螺旋飛行になること自体には問題はなく、操縦方法を再検討して、螺旋飛行を取らないよう計画をしなおし、10月4日の挑戦を予定通り行うことを発表した。
1回目のフライトからわずか6日で完全再使用によるフライトである

X PRIZE主催者 ディアマンデス氏は世界中のメディア、X PRIZE支援者にこのことを伝えた。
はたして2回目は成功するのか?
スペースシップワンはANSARI X PRIZEの栄冠を獲得することができるのか?
次のパイロットは誰なのか?
他の2つのシートには今回は人が乗るのか?
10月4日のANSARI X PRIZE 獲得に向けた運命の再使用による同じ機体を使っての2回目のフライトに全世界が再び注目した。


■10.4 偉大な歴史的フライト 同じ機体で再び宇宙へ
 
全世界の注目の中、モハーベ空港に10月4日の夜が明けた。
天気は快晴、風も弱く絶好のコンディションだ。

1回目の飛行と同じ機体のスペースシップワンに乗り込むパイロットの姿はいつもの初老の冒険者ではなく若く背の高い人物だった。
2回目のフライトにはメルビル氏ではなく元海軍のベテランパイロットの「ブライアン・ビニー」氏が乗り込んだ。
今回のメルビル氏はスペースシップワンを高度5300feetへ運ぶ「ホワイトナイト」に搭乗する。
「メルビル氏の名誉のためにも言っておくが、これはメルビル氏の技量の問題ではなく、最初から計画されていたことだ。」
バートルータン氏は後の会見でこう言っている。
「これまではほんのお遊びだった。次はマジで行こうぜ!」
バートルータン氏は1回目の飛行を終えた後の緊急会議の席でこれまでに無いほどの気合をスタッフにおくったのだった。
スタッフはそのルータン氏の気迫に答え、完璧な操作手順を計画していた。

現地時間 午前6時48分ごろ ホワイトナイトはスペースシップワンを抱いて再びモハーベ空港を離陸した。


大きな円を描くような旋回をしながら、7時33分には高度約43,500フィートまで到達した。
そして7時49分頃、ついに高度約5000フィート(約15km)地点でホワイトナイトからスペースシップワンが分離し、ハイブリッド・ロケット・モーターに点火された。

スペースシップワンは白い煙を上げながらはるか上空高度100kmを目指して上昇していった。
懸念されたロールスピンの問題もなく、機体は安定した姿勢を保っている。

予定通り約90秒間、ハイブリッド・ロケットモーターは燃焼した。
ロケットエンジンを止めると弾道軌道を描きそのまま高度100kmまでは加速無しで上昇する。
その時から、スペースシップワンの船内は「無重力」となるのだ。

スペースシップワンの船内のモニターには眼下に広がる丸みを帯びた美しい青い地球が映し出された。
そして頭上にはそれとは対照的な漆黒の闇の宇宙が広がっていた。
「それは神秘的でな感覚と体験だった。あの感動は体験してみなければとても表現できるものではない。」
後にパイロットのブライアン・ビニー氏は記者会見でこう感想を述べている。
ビニ−氏は無重力の中でスペ−スシップワンの紙飛行機を飛ばし、記念写真を撮っている。

管制からのレーダーはスペースシップワンが「高度368,000 feet(112.2km)」に到達したことを捕らえた。
観客席からは大きな歓声と賞賛の拍手が巻き起こった。
この高度は1回目の飛行よりも10kmも高い高度である。

スペースシップワンは再び尾翼を降りたんだモードになり、降下速度を抑えなが大気圏に再突入した。

高度を下げると再び尾翼を戻し、ブライアン氏の巧みな操縦により降下していった。
追跡機、Star Chaserが降下してくるスペースシップワンを捕らえ、ぴったりと後ろについてスペースシップワンを見守った。

スペースシップワンはモハーベ空港上空をゆっくりとめぐりながら、午前8時13分にモハーベ空港の滑走路を舞い降りた。

空港は割れんばかりの惜しみない歓声と賞賛に包まれた。

スペースシップワンからブライアン・ビニー氏は笑顔で手を振りながら、スペースシップワンの操縦席から空港に降り立った。

ここに、バートルータンが送り出した二人目の民間宇宙飛行士の誕生した。

そして、スペースシップワンのANSARI X PRIZE獲得と X PRIZEの勝利が決まったのだ!

その勝利がもたらした本当の意味とは?

<<X PRIZE勝利の持つ真の偉大さの意味へ>>

写真提供:Mojave Airport

 

 

 
   
 

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